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教育


 

コソボ出身のヴィトン・カストラティさん(24) にインタビュー  
2015/09/21               松本 哉人(16)

松本哉人(16)記者は、2015年7月27日から8月6日まで、セルビアのベオグラードで開かれた第10回国際青少年メディア・サミットに参加した。そこで7つの課題の一つの「貧困」グループに参加し、コソボ共和国から参加したヴィトン・カストラティさんがアドバイザーだった。松本記者にとって今回初めて若いコソボ人に会って話をした。


Q. あなたの国コソボ共和国について簡単に説明していただけますか?
A. コソボ共和国はヨーロッパでもっとも新しく生まれた国です。過去600年の間オスマン・トルコやセルビアに占領されていたのですが、2008年に米国と欧州連合(EU)の支援を受けて独立しました。コソボはバルカン半島の中部にあり、アルバニア、モンテネグロ、マケドニア、セルビアに囲まれています。人口は約200万人の小さな国です。首都はプリシュティナです。古くから残る町がたくさんありますが、私はマリシェヴァ(Malisheva)に住んでいます。我が国は音楽、衣装、食べ物にとても古い伝統があります。

Q. どのような仕事をされていますか? 
A. Ibrahim Mazrekuという小学校で英語の先生をしています。また、Value for Better FutureというNGOを創設し、理事をしています。私たちは子ども、学生や若者たちのための多くの活動をしています。教育、文化、芸術、メディアに関しする活動が行われています。私たちは、若者が才能を見出すようにサポートし、短編映画やWADADA NEWS FOR KIDS向けのニュースを制作するために共に仕事をしています。


Q. なぜその仕事を選んだのですか? 
A. コソボでは急速に英語が広がっていますが、英語の先生の数が足りません。英語ができると仕事を得やすいしの国際的な団体、青少年サミットや映画祭に関わる人々と交流することもできます。
私は、19歳から英語の先生として働いています。私の父も英語の先生で父が教えてくれました。私が住む町には英語の先生が十分いないので、この仕事を得るのは簡単でした。
私は、最初の映画「ドリーマー(The Dreamers)」をこの町で作りました。夢を持つ子どもたちが何かをしたいと思ってもうまくいかないという内容です。子どもたちの持つ才能を表現したくて作りました。この映画を持って、ドイツで行われた国際青少年映画祭に私の務める学校の生徒たちと一緒に参加しました。そこでとても刺激を受けて、もう一つ映画を作ることにしました。それは、「コソボの子ども自治(Kosovo’s  Children Government)」です。コソボではこの映画でとても成功を収めることができたので、生まれつき両手がない少年についての映画、「手がなくても問題はない(No hands, no problems)」も作りました。
私は、英語、メディア、さらに国際関係を好む多くの生徒たちから刺激を受けているので、教師として働くのをとても幸せに思っています。このことが関係機関から評価され、マリシバ(Malisheva)の町で2014年〜2015年で最も積極的な教師の一人として発表されました。


Q. このサミットに参加した理由は何ですか?
A, 新しい出会いがあるし、私の作品を観てもらおうと思ったからです。自分の作品を文化、背景、教育レベルの異なる30か国の参加者に観てもらうことはとても大事だと思います。サミットはとても素晴らしい経験でしたし、私がこのサミットに参加できるように支援してくれたコソボ駐在のノルウェー大使館に感謝しています。

Q. このサミットを通して学んだことは何ですか? 
A. 多くの経験を積むことができ、それぞれ異なる背景の教育、文化、伝統があることを知ることができました。しかし、何よりも大事なことは、これからもっと良い映画を制作するにはどうすればよいかということを学んだことです。


Q. なぜ「貧困グループ」を選んだのですか?
A. コソボはまだ貧困で苦しんでいるので、私自身にもっとも影響があると思って選びました。貧困の経験をみなに伝えようと思いました。
劣悪な状況の中で生きるのは難しいので、貧しい人々を助けるのは良いことだからでず。現在でも教育を受ける機会のない子どもたちが大勢います。かれらは他の人たちからの援助がもっと必要です。コソボは戦争で被害を受けたので多くの貧しい人たちがいます。私たちは彼らの生活や未来がもっと良くなるように頑張っています。


Q. コソボの貧困についての問題点は何ですか?
A. コソボは2008年に独立したまだ新しい国ですが、税金が使われるべき所に使われていないことです。工場を建てたり雇用を増して事業の収益を上げるための投資ができるはずなのに、適切なところにお金を送っていません。


Q. 貧困の解決策は何だと思いますか? 
A. これは国境を越えた問題ですから、解決するのはとても難しいです。自分達で可能性を生み出すことができない人々にもっと多くの場所や機会が欲しいし、そしてお互いを守るために私たちはチームとして活動しなければいけないと思います。また、政府が若者たちにもっと雇用の機会を創出するような適切な所に資金を投資することです。
政府は人口が増加し、現在の状況に満足していない若者たちにうまく対応する必要があります。若者たちはコソボから出て、他の国で働こうとしています。政府はもっと手をうつべきだと思いますが、私個人としては1人の市民として、また教師として何か役立とうと思っています。私にできることは貧しい子どもたちに教育をすることです。


Q. 政府はどのようにお金を得ているのですか?
A. 200万人の国民や中小企業からの税金だけです。コソボにもっと多くの工場を建てて若者たちに働く元気を与える時期にあると思います。


Q. 産業は発展していますか?
A. 少数の産業と企業はありますが、造船業、航空機産業、科学技術、貿易産業のような巨大産業はありません。中小企業しかありません。自分たちが使うための電力や農業は大丈夫です。


Q. 他の国から十分な支援を受けていますか?
A はい。欧州連合やアメリカが沢山投資してくれました。50万人以上が海外で働いていますが、各国にあるような企業がもっと必要です。しっかりした企業を設立しなければなりません。


Q. 教育については、何か問題点はありますか?
A. かつてはいくつか問題点がありました。しかし、戦争が終わってからは学校やすべての子どもが教育を受けられることに、もっと関心を寄せるようになりました。大学に通うことはそれほどお金がかかりません。年間授業料はたった100ユーロ(約13,500円)です。多くの若い女性は教育を受けて将来より良い家庭をつくり、仕事をもてるように学校に通っています。以前は大学に行く女性は一人もいませんでしたが、今では、性別に関係なく大学に行ける可能性があります。


Q. すべての人が大学に行くことができていないのは、貧困が理由の一つだと思いますか?
A. はい。どんなに優秀な学生でも親が貧しければサポートできません。残された道は、結婚するか、どこかでより良い暮らしをするためにコソボを離れるしかありません。


Q. 独立してから7年たちますが、コソボの生活はよくなっていますか?
A. はい、良くはなっていますが、まだいくつかの問題があります。コソボの人口の大半は若者たちで、平均年齢は30歳です。若者たちは、より良い仕事や生活を求めて海外に出かけていっています。この状況には対処されていません。昨年は、20万人の若者がドイツやオーストリア、イタリアで生活するためにコソボを離れました。これは、戦後の我が国では最悪の状況です。


Q. 日本人はどのように支援をしたらよいですか?
A. 日本人に何ができるのかわからないので答えにくいですが、若者や学校を支援することはできるかもしれません。すでに使わなくなった技術や設備のようなものをコソボに持ってくることができるかもしれないですね。たとえ日本から遠く離れていても、日本はこれまでにコソボ政府に対して技術協力や医薬品、町をきれいにする廃棄物収集トラックやコソボフィルファーモニー交響楽団への楽器の供与のような無償資金協力(二国間援助)をしてきているので、これからも別の良い方法をみつけられるでしょう。私たちはこのような日本からの援助に対して大変感謝していますし、これからの技術革新や市民権の模範になっている日本からの良いニュースをいつも期待しています。

▲カストラティさんと松本記者

 

 

 

 

 

 

 

▲「貧困」グループ

▲コソボの民族衣装

 

 

 

 

 

 

▲マリシェヴァの町